その時、
具体的な芸能人の名前をブログで出すのはいやなので、
仮の名前として「田中花子」という名前を借りた。
このテの仮の名前には
「山田さん」「山田太郎さん」「山田花子さん」を使うことが多く、
これらの名前を使うことによって
いちいち説明しなくても
「これは仮名ですよ」と読む方に分かってもらえる。
が、今回は女性芸能人ネタで
「山田花子さん」は芸能界に実在するので
今回は「田中花子さん」に変えて、
話を進めた。
でも書きながら、一抹の不安を覚えた私は、
記事の最初の方にわざわざ断りを入れた。
「田中花子さんは仮名です…」と。
私の感じた一抹の不安とは?
宮部みゆきさんが以前、
ある書籍のあとがきでこんなことを書いていた。
「まず、全国の田中花子さんに謝りたい」と。
もちろん実際に書かれていた名前は「田中花子さん」ではなかったが、
これは、作品の中に出てくる若い、どうしようもなくひどい女の名前である。
宮部さんは書いていた。
いつも作品を書く時、
この日本に存在するかもしれない被害者と同姓同名の人に本当に申し訳なく思っている、と。
確かに宮部作品の被害者って、残酷な仕打ちを受け、殺されていくものが多い。
しかも作品にリアリティを持たせるためか、
そんなに突拍子もない名前や名字はみつからない。
ごく普通の、名前。
だから
この日本に同姓同名の人がいたっておかしくはない。
私は
宮部さんのこの言葉がすごく心に残っている。
それ以前から私は、
「書く」という行為は、
特にこうしてブログなどの公のものに書く時は
時に自分の書いた記事が自分が考えてもいないほどのたくさんの人の目にふれることもあるわけで、
だからいろいろなことを考えて書かなくてはいけない、と思っていた。
だから、宮部さんの気持ち、わかるなあ…と思った。
もちろん私なんてしょせんしろうとだし、
大作家の宮部さんと比べるのも笑っちゃうが、
でも、慎重であることに越したことはないといまでも思っている。
私が記事を書く時、
友達だろうが、なんだろうが、すべて仮名である。
A子B氏だったら傷つくひともいないからだ。
昨日の記事も可能ならば
「A山B子」とか「○山×子」とかにしたかったのだが、
「彼女の名前の最初の文字「田」を入力しただけで、彼女の名前とともに「整形」という言葉も一緒に出てきた」
という、
私が体験した強烈な出来事を、
読んでいるみなさんにも一緒に感じてもらうためには、
「A山B子」ではダメだったので、田中花子にさせてもらった。
でも昨日、記事を書きながら、案の定思った。
「世の中に田中花子さん、いるかもしれないなあ…。これ読んだらいやかもなぁ…」
それが、私の感じた一抹の不安である。
だから、敢えて、断わりを入れた。
実際、こういう時、
「山田花子さん」を使えないことは痛い(笑)
しかし、
いい芸名付けたよなぁ。吉本も。(笑)
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